野球

ヨギベラ語録

 広島カープvs日本ハムファイターズの日本シリーズ第一戦をホヤケンでテレビ観戦していたら、偶然にも「広島沖縄県人会」の與儀(よぎ)さんという方が来店され、大いに盛り上がった。お帰りになるときに「與儀さんは、ヨギベラという野球人をご存知ですか?」とお尋ねすると、「知ってるよ。95歳になるうちの親父のあだ名だからね。」という絶妙の落ちも付いた。というわけで読んだら愉快な気持ちになるヨギベラ語録です。

 「彼の前評判は、来る前に聞いていた。」

 「あのレストランは混んでいるから、誰も行かない。」

 「野球は9割がメンタル、残りの5割がフィジカル。」

 「毎日1時から4時まで2時間昼寝している。」

 「ピザは4つに切ってよ、6つは食べきれないから。」

 (映画を観ながら)

 「これはマックイーンが死ぬ前に撮ったはずだ。」

 「ショートしたパットの9割はカップに入らない。」

 「予測をするのは難しい。未来についてはなおさらだ。」

 「匿名の手紙に返事を出してはならない。」

 トケオ

  Photo ヨギベラ

松山市営球場のヨギ・ベラ

  俳句の仲間から、「長嶋茂雄が引退した年に、松山市営球場で大リーグのチームと巨人軍の試合を観た。」と聞き、さっそく図書館で調べてみた。

  1974年(昭和49年)11月13日(水曜日)の愛媛新聞によると、日米親善野球第13戦、読売巨人軍vsニューヨーク・メッツの試合は前日の11月12日(火曜日)、松山市営球場に2万5000人の大観衆を集めて行われていた。

  平日であり、野球ファンの小・中学生、高校生の姿が全く見えない中での超満員はチョット想像がつかない。試合はメッツが主砲クレインプールの活躍で、序盤に5-0とリードした巨人軍を逆転し、7-5と勝利している。

  クレインプールの決勝本塁打は、右翼場外への大アーチで、外野席の最上段をはるかに越え、南側のテニスコートの近くへ落ちたようだ。試合後に地元の造船所から勝利チーム賞に贈られた牛が連れてこられると、メッツのヨギ・ベラ監督(アメリカの長嶋茂雄!)は目を丸くしてビックリ仰天し、「クレインプールがレストランを経営しているから彼に切ってもらってステーキにしようか。」と言いながら、牛と仲良く記念撮影したという。

  予想以上にボールパーク的で魅力的な雰囲気を感じつつ、出場選手の記録をチェックしていたら、のちにニューヨーク・ヤンキースの監督として松井秀喜を指導するジョ-・トーリが4番ファーストで出場し、4打数4安打の活躍をみせていた。

  ジョー・トーリと長嶋茂雄が、40年前の松山市営球場で同じ試合に出場していたとは驚きで、何か因縁めいたものを感じる。デレク・ジーターと松井秀喜が生まれたのが、この年つまり1974年のことだからである。トケオ

  Photo_2 ヨギ・ベラ

 

GWのお休みとカピバラ

もうすぐゴールデンウィークです。

お休みがたくさん取れる人もそうでない人も、自分なりに初夏を楽しみたいですね。

ということで、そうでないほうのホヤケンのGWの予定です。

4/27日(日)と最終日5/6(火)をお休みします。

5/4(日)は営業しますので、近くにお越しの際は覗いてみて下さいね。

さて、5月といえば鯉の季節! (ピンキーとキラーズやね。)

そこで質問で~す。

今絶好調の広島カープを牽引中の若手投手三人ですが、誰が誰だか分かりますか?

 ① 
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正解は①大瀬良大地投手、②一岡竜司投手、③今村猛投手です。

三人、よく似てませんか? (皆右投手で、動いてるのを見るともっとよく似て見えるんです。)

三人とも1991年生まれ、ちなみに九里亜蓮投手、堂林翔太選手も同じ年です。

鯉をグイグイ引っ張る、癒し系「カピバラ三兄弟」をよろしくね。(ポン酢)


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ミヤーン打法

香川オリーブガイナーズから中日に入団した注目のルーキー、又吉克樹投手の記事を読んでいて、懐かしい名前を発見した。担当スカウトの正岡真二さんである。

  かつてドラキチだったし、正岡選手は今治南高出身でもあったからよく覚えている。応援歌「燃えよドラゴンズ」では、「ミヤーン打法の正岡」とか「華麗な守備の正岡」などと歌われている渋い選手だった。

  1981年のシーズンに、宇野選手がヘディングした時は、うずくまる宇野選手を尻目に、二塁手の正岡選手が素早く中継に入り、打者走者を本塁で刺した。

  1982年9月28日、9回裏2-6から巨人の江川投手を打ち崩して同点とし、延長戦の末サヨナラ勝ちした劇的な試合で、最後にホームベースを踏んだのも正岡選手だった。あの試合で多くのドラキチが、久しぶりのリーグ優勝を確信したことだろう。ちょうど、名古屋の女子大生2人が歌う「待つわ」という曲が大ヒットしていた頃だ。(トケオ)

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北予中の中村信一選手

  母校、松山北高(当時は北予中)は昭和6年、第8回全国選抜中等学校野球大会に出場し、みごと勝利している。チームの遊撃手、中村信一選手は、のちに法政大学を経てプロ野球の東京セネタースに入団する。

  華麗な守備で名人芸といわれた、東京セネタースの主将苅田久徳は、当時来日した大リーグチームの二塁守備を見て、その重要性に気づき、自ら二塁のポジションについて、遊撃のポジションを法政大学の後輩である中村選手に譲ったようだ。

  「キーストーン・コンビ」とよばれる、この二遊間を中心に、百万ドルの内野陣を形成した東京セネタースは、都会的でスマートなチームカラーが売り物で、大変人気があったらしい。

  今では球団も消え、本拠地であった上井草球場も残っていないのは残念だが、松山商の景浦将選手らと同時代に、母校の先輩がプロ野球の世界で活躍していたことを知って、とても満足している。(トケオ)

  Photo 東京セネタース 前列右から二人目が中村信一選手 後列左端が苅田久徳選手 

 

プリ・リル・ベイビー

先日、あるお医者様に教えて頂きました。

ハイハイをたくさんした子は肩が強い。

赤ちゃんの時にハイハイをする時間が長いと、肩の強い子になるそうです。

可愛い子にはハイハイをいっぱいさせた方がいいんですね。
 
 

 

可愛いベイビー、ハイハイ♪ ┐(´∀`)┌

 


え~、この歌は1961年にコニー・フランシスが歌ったのを、日本では62年に中尾ミエがカバーして100万枚を超える大ヒットになりました。

1962年生まれの野球選手と言えば、秋山幸二、愛甲猛、広澤克実などです。

埼玉出身の私ですが、西武ライオンズ黄金期を支えた秋山選手の勇姿は今でも覚えてます。

最近も、2月2日のソフトバンクの宮崎キャンプにて、

「午前10時前、選手が姿を現し、サインボールをスタンドに投げ込むと、ファンから歓声が!中でも、秋山監督が三塁ベンチ前から、一塁側スタンドにノーステップで、投げ込むととどよめきが起きていました。王会長も笑顔で姿を見せていました」
ニッポン放送ショウアップナイターより

今も本当に格好いいです。

これも、いっぱいハイハイしたおかげかな?バブー!(ポン酢)

「コンピョウさん」こと近藤兵太郎

  昭和6年に、日本の統治下だった台湾の代表「嘉義農林」を率いて、甲子園準優勝へと導いた「コンピョウさん」こと近藤兵太郎(松山市萱町生まれ1888~1966)っていう人がいた。その「コンピョウさん」率いる嘉義農林学校野球部の活躍を描いた台湾映画「KANO]が制作され、来年には日本でも公開されるっていうんで、今からすごく楽しみにしている。

  「コンピョウさん」を演じるのは、私と同い年の永瀬正敏。そうか。ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」からもう20年以上になるのか。そりゃ私も歳とるはずだわって感じだけど、台湾で今「あまちゃん」も放映されてるらしいから、元妻の小泉今日子と一緒に「接接接(じぇじぇじぇ」っていうくらい大ヒットするんじゃないかな。(トケオ)

  Photo_5  近藤兵太郎

 

  

子規とフィールド・オブ・ドリームス

今日九月十九日は正岡子規の命日、糸瓜忌です。
俳人子規はまた、野球殿堂入りしている野球人でもありました。

子規の本名升(のぼる)にちなんだ能球(ノボール)という俳号を使った俳句があります。

 恋知らぬ猫のふり也球あそび 

   友達の大谷是空から送られた洋服姿で猟銃を構えた写真に対して送った
   子規の野球のユニフォーム姿の写真に添えられた俳句です

野球短歌もあります。

 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも

   「久方の」は天(あま)にかかる枕詞
   「アメリカ」にかけて言葉遊びをしている

さて、今日の「あまちゃん」を見ていたら、海女カフェの再建で映画「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフが出て来ました。
 
「イフ・ユウ・ビルト・イット、ヒー・ウィル・カム」
 
「もしそれを建てたなら、彼は来るだろう」
 
ラストシーンが素晴らしい、余韻の残る野球映画でした。
 
もしも私が小さな野球場を建てたなら、一体誰が来るのでしょうか。
今日は中秋の名月。
私の夢の球場に、
「月に向かって打て」の大杉勝男氏が来て、
特大ホームランを打ってくれて、
後1本足りずに達成出来なかった(パリーグで278本、セリーグで199本)
史上初の両リーグ200本塁打を達成するところを見せてくれないかな。(ポン酢)

 

   

「関白」こと石井藤吉郎

前回書いた幻の甲子園。出場した選手に水戸商の石井藤吉郎がいる。のちに早稲田大学野球部の名物監督になる「関白」こと石井藤吉郎であるが、野球人のなかで、私の知るかぎりではダントツのギャグセンスをもっている。

例えば全日本の監督としてキューバチームと対戦した時のこと。絶体絶命のピンチにマウンドに行って「ピッチャー交代、急場(キューバ)しのぎだっぺ」って、たぶんそのギャグが言いたくて、わざわざマウンドまで行っているんじゃないか。野手たちは当然大爆笑。観客のほうは、なんでそんなに笑ってるのかよくわからない。
ある時は「巨人と中日どちらが勝つでしょうか」という質問に「巨人だっぺ。正力松太郎(勝利決まったろう)だっぺ」って、質問者は完全に脱力してしまうだろう。
戦争に行ってシベリアに抑留され、そうとう苦労したり、悲惨な体験している人間の強さと軽みがこのギャグセンスに現れている。
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幻の甲子園

花巻東高にとって、まったくの不完全燃焼に終わった夏の甲子園。なんとなく思い出したのは昭和17年に行われた幻の甲子園大会のこと。

スコアボードに軍事スローガンが掲げられ、サイレンの代わりに進軍ラッパで試合が始まる。「1チームあたりの選手数は9人とし、選手交代は禁止する」「打者は球をよけてはならない」といった信じられない特別ルールが採用されている。
この大会は戦意高揚を目的として、文部省に加えて日本軍が進行の大半を担っていたため、全国中等学校野球大会としては行われず、したがって大会史上にその記録は残っていない。現在、幻の甲子園とよばれている所以である。
準優勝の平安中は準決勝の試合が途中中止となり、翌日に準決勝と決勝をダブルヘッダーで行っている。優勝した徳島商に渡された一枚の賞状は、昭和20年の徳島大空襲で焼失してしまったという。
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