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艷消しな大坂

  鈴木博之著「建築の遺伝子」を読む。建築家村野藤吾による、建築家吉田五十八追悼の「吉田流私見」という文章が引用されていて、とても興味深い。 

  「このほど東京のある建物に『かけあんどん』をつけるので、スケッチを渡して作らせたところ、できあがったのを見て驚いた。驚いたというより、出来のいいのに感嘆したのである。繊細で刃物のように切れるかと思うほど、隅々や桟は美しく清潔で、定規で引いたような正確な出来ばえであった。そこでふと思いあたったことだが、このあたりにも吉田先生の影響が浸透しているのかもしれないと感じた。指物のことになるが、東京と関西とではよく言われるとおり手法も感じも違う。味覚ほどでないにしても東京の方は堅く、しかし、磨きたてた美しさがあり、どことなくつけ味の感じがないでもない。ところが関西の方はどこかに艷消しでソフトなように思う。」

  一読に解るとおり、「定規で引いたような」出来ばえは、村野にとっては素晴らしくはあっても、自らのものではない。「どこかに艷消しでソフトな」ものこそが自己の造形感覚にふさわしい世界であるのだろう。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」や小出楢重の随筆などにも通じるこの感覚は、デザインを「遊ぶ」余裕すら感じさせる、落ち着きがあり成熟した、大坂(あえて大阪でなく)の文化的風土ではないかと思う。トケオ

  Photo  小出楢重の挿絵

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