« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

バッキー・ハリス

高橋龍太郎がオーナーをつとめた「後楽園イーグルス」に、バッキー・ハリスという捕手がいました。たぶん日本プロ野球史上初の外国人選手だと思います。

ハリスは「ソノボール、ミセテクダサイ」と投手に話しかけて、投手がハリスに向けてボールを投げたとたんにディレードスチールを敢行したり、打者の耳元で「モーモタロサン、モモタロサン」と歌って打ち気をそいだりするなかなかの曲者であったようです。
昭和12年秋季最高殊勲選手に選ばれ、昭和13年春季本塁打王を獲得しています。日米関係の悪化にともないイーグルスを退団したハリスは、アメリカに帰国する船から「カナシクテ、カナシクテ、サヨナラガイエマセン」というメッセージをチームメイトに投げています。
日本では、坪内祐三の「靖国」などにでてくる超モダンな建築「野々宮アパートメント」に住んでいたのではなかったでしょうか。たしか大和球士の「プロ野球三国志」に書かれていたような気がします。それから松木謙治郎の「阪神タイガース松木一等兵の沖縄捕虜記」にもチラっと登場していました。
昭和51年に再来日したハリスは、チームメイトと38年ぶりに再会し、阪急と巨人の日本シリーズを観戦しています。ハリスの目に日本のプロ野球はどのように映ったのでしょうか。
 
  Photo_7

あっぱれ中西君!

今日は雷で目が覚めました。
定休日は一日雨になりそうです。

さて、高校野球愛媛県大会の話ですが。
私の応援していた松山聖陵高校は、残念ながら準決勝で、今治西高校に1-0で惜敗してしまいました。
昨日の決勝戦は家でテレビ観戦していたのですが、球場に見に行けばよかったなと後悔しています。
それぐらい素晴らしい試合でした。
「やっぱり松山だし、安楽投手は道後中だし、済美高校を応援しよう」くらいに思っていたのですが、見ているうちににだんだんと今治西高校の粘りというか「執念」に魅せられてしまい、最後には今西を応援していました。
特に3年生の中西君!
6回の今西の守り、3点リードされもう失点できない1死3塁の場面。
スクイズの打球を、超前進守備の一塁手中西君が猛ダッシュして捕球すると、そのまま本塁に突っこみ三塁走者をタッチアウトにしたプレー。
今まで、あんなの、見たことない!
三塁走者と同時に、すごい勢いでファーストが駆け込んでくるなんて!
守備なのに、「攻撃」の守りなんですよ!
その前にも4回の攻撃で先頭打者だった中西君は、10球粘った末に甘く入った速球をセンター前ヒットにして得点につなげ、チームを引っ張っていました。
チームがぐんぐん一つになっていくのが、テレビを通しても伝わってきました。
負けはしたけれど、今西の勝利への執念は本当に素晴らしかった。
こんな野球が出来るのも、大野監督の指導の賜物なんでしょうね。
神野君と越智君の今西バッテリーは2年生なので、安楽君とのライバル対決は今後も楽しみです。
それに中西君、今後も是非野球を続けてください。
勝手ながら(本当に)、これからもずっと応援していきます!(ポン酢)

後楽園イーグルス

高橋龍太郎がオーナーを務めた戦前のプロ野球団「後楽園イーグルス」には、高橋のほかにも愛媛ゆかりの人物がかかわっています。球団社長の押川清がそのひとりで、彼の父親は松山出身のキリスト者である押川方義、兄は冒険小説家の押川春浪です。

押川清は大正時代に日本最初のプロ野球チームである「日本運動協会」をつくったことなども評価され野球殿堂入りしていますが、個人的にはコンデコマの友人であったことを強調して書いておきたいと思います。
   Photo_3
 
  

高校野球で燃えてるさ~

毎日暑いですね。
こんな暑い中、もっと熱いのが高校野球愛媛県予選です。
松山に来て思うのは、「高校野球熱」がスゴイ!
愛媛では野球といえば高校野球、決してプロ野球じゃあないのです。
トケオくんも小学生の頃、県予選を見に、堀の内にあった市民球場へ毎日水筒持参で通っていたらしいです。
私も松山在住15年。
高校野球を楽しみにしています。
今年は「愛媛の宝物」である済美の安楽くんが、全国的に注目されていますね。
そしてもう一つ、私の気になる学校は松山聖陵高校です。
私は嶋本慶先生に沖縄の民謡を習っているのですが、その嶋ちゃんの大先生である天久勝義先生は宮古島のご出身です。
そしてまた、聖陵高校の荷川取秀明監督が宮古島ご出身だそうです。
直接お会いしたことは無いのですが、沖縄から四国にきて頑張っておられるとのこと。
私も松山で、不思議なご縁があって、沖縄の宮古島の民謡を習っている。
勝手ですが、なんだか応援したいんですよね。
今聖陵は順調にベスト8に勝ちあがっています。
是非済美高校との決勝戦が見たいです。(ポン酢)

高橋龍太郎

近藤英雄っていう人の書いた「坊ちゃん秘話」っていう本の高橋龍太郎のところを読んでたら、明治22年に内子小学校校長に迎えられた遠山道成っていう人は、横浜にいたころ外人とベースボールをした経験者であったことから、これを正科にとりいれたとあってちょっとビックリした。

明治22年といえば、松山に帰省してた子規が碧梧桐にキャッチボールを教えた年なんで、内子のほうがかなり進んでいる。実際、松山中学で野球部が始まった明治25年当時、選手は半分以上、内子尚武会の寄宿舎の生徒たちだったとか。
内子出身の高橋龍太郎が後年、プロ野球団「後楽園イーグルス」と「高橋ユニオンズ」のオーナーになったのにはこんな由来があったからかもしれないなと思う。
  Photo_4

「居酒屋兆治」見ました。

お休みの今日、「あまちゃん」昼再放送の後に何となくテレビを見ていたら、映画「居酒屋兆治」が放送されていました。
途中からだったのですが、見るとは無しに、でも結局最後まで見てしまった。
自分が居酒屋しているのに、見たことが無かったのですが、面白かったです。
とにかく大原麗子が美しい。
もちろんご本人がもともと美しいのだろうけれど、映画のスタッフ達が「絶対綺麗に撮るのだdash」という気迫を込めているようで、どのシーンも夢のような美しさです。
大原麗子演じる「さよ」から話をながめると(以下ネタバレ注意です)、弱気な恋人英治(高倉健)と別れ資産家(左とん平)と結婚したものの、昔の恋人が忘れられず、家に放火して(?)飛び出し、かといって元恋人には糟糠の妻(加藤登紀子)がいてどうにもならず、薄野でホステスになり、英治の面影を求めて男(平田満)と関係するも自暴自棄になり、最後はお酒で身体を害し喀血して亡くなる、という絵に描いたような転落ぶりです。
とにかく切ないくらいに薄幸です。
さよは英治と会えないので、せめて電話をと思うんだけれど、英治が出ても何も話せない。
貧しいアパートで喀血しながら、二人で写った写真を握り締めて孤独に死んでゆく。
やっと英治と会えて抱きしめられた時には、もう自分は死んでるんですよ~。
でもこんなに悲惨なのに、不思議と「可哀想」とは思えないんです。
それは、このさよという女性が「夢の女」だからではないでしょうか。
現実にはありえない夢の中の理想の女性。
一人の男性を思い、その自分の愛の激しさに身を焼かれて死んでしまう。
そんな夢のような女性に、大原麗子の儚い美しさはぴったりだと思いました。
最後のシーンで、健さんがなでる麗子の額の産毛まで美しいんです!
さて現実の妻の加藤登紀子は、警察から解放された高倉健に第一声「煮込みは大丈夫よ」と声をかけます。
あぁ「日常」のその強さ!
もちろん函館を舞台に、居酒屋のお客様との話も見所です。
小松政夫の金属バットのエピソードや、伊丹十三のヒールぶり、なんと細野春臣も出てるし。
「昭和」な感じが、ちょっとだけホヤケンに似てるかな、ちょっとだけ。
うちには高倉健も、もちろん加藤登紀子もいないけどね(笑)。

内子の三もぐり

「わすれかけの街」によると、現在ホヤケンがある場所はいつごろか内子尚武会の寄宿舎になっていたようです。越智二良の随筆集「たれゆえ草」にも、この寄宿舎にバットやミットをさげた野球選手が多くいて、鬼菊地の末弟ら血気の若者が寝起きしていたとあります。

鬼菊地とは「内子の三もぐり」の一人、菊地秀次郎のことで松山中学から三高へ進学して、剛腕投手として活躍した野球選手です。のちに金鉱技師になって地下深くもぐりました。
ちなみに「内子の三もぐり」の他の二人は、潜水艦乗りで海底深くもぐった重岡信次郎と飛行機乗りで大空深くもぐった(ちょっと無理があります)安達東三郎です。
  Photo_15

14日営業15日休業です。

え~、業務連絡です。
日曜が定休日のホヤケンですが、日曜日を含む連休中は連休の最終日が休みになります。
ということで、今度の14日の日曜日は営業し、連休最終日の15日月曜日がお休みです。
何だか難しい(?)けど、悪しからず、よろしくお願い致します。

さて、ジムなどで大きなボールを使ってする運動ありますよね。
そう、ピラティス。
私はつい最近までずーーーーっと「ティラピス」って言ってました。
先日友人とのメールで間違いを指摘され、やっと気付きました。
「なんか美味しそうだけどね」って。
ティラミスかい!
思い出せば弟も子供の頃「ヘリコプター」が何度練習しても言えなかったな~。
今は言えるようになったのかな~。
弟を布団巻きにすると「死ぬー」って言えずに、「死むー」って言うのが可愛くて、よく布団まきにしてたな~。
ごめんね、弟くん。

丸山定夫

松山アースダイバー的「わすれかけの街」という本によると、現在ホヤケンのある場所に、明治の終りごろ海南新聞主筆編集長丸山常次が住んでいて、その4男が俳優の丸山定夫(1901~1945)だそうです。

以前に読んだ「築地にひびく銅鑼」という本は、天才俳優と言われながらもキャリアの絶頂期に広島で被爆死した丸山の波瀾に満ちた生涯を、榎本健一などの演劇人との交流を通して描かれてあり非常に面白かったのです。
山本嘉次郎監督の映画「坊っちゃん」では山嵐の役で、同じく山本監督の映画「我輩は猫である」では苦沙弥先生の役で出演している丸山が存命であったら、松山の演劇映画の地図はまた変わっていたと思え残念でなりません。
  Photo_4

吉田蔵沢

百済魚文と親交のあった吉田蔵沢(1722~1802)の墨竹画の特質は、伝習的な規範を脱し、無法ともいうべき奔放さで竹を描き、しかもそれが見事に竹になりきっているところでしょう。

「蔵沢の竹を得てより露の庵」 漱石
夏目鏡子「漱石の思ひ出」によれば、漱石は蔵沢の墨竹画を手に入れると大変珍重して、自分でもそれを手本に竹を描くんだーって言って、毛氈の上に紙をひろげて、尻をはし折って、一気に描きあげんといかんのだーって言って大騒動だったみたいです。ガンバレ漱石。

明月2

「ふろふきを喰ひに浮世へ百年目」 子規

「凡そ百年にしてうち時雨たり」 碧梧桐
明治29年に円光寺で行われた明月上人百年の法事によせられた正岡子規と河東碧梧桐の俳句です。碧梧桐、すでに自由律みたいでかっこいいです。明月の奇人変人ぶり、そのマルチな才能ぶりは、碧梧桐にこそ正しく受け継がれたのではないでしょうか。
そういえば、夏目漱石も松山にいる間に明月の書を入手しようと必死に探しますが見つからず、17年後に松山の俳人から送られた時にメチャクチャ喜んでいておもしろいです。

明月

百済魚文と親交のあった明月(1727~1797)は、自ら「解脱隠居」「化物園主人」などと戯号し、自他共に認める奇人変人で、とても魅力的な人物です。

例えば明月が書いた「通機図解」は、江戸時代の気象観測の本で、太陽にかかる雲の形によって、天気を予知することを図で説明している大変ユニークな本です。偶然ネットで画像をみつけたときはびっくりしました。興味のある人は是非検索してみてください。
  Photo_2
  

わすれかけの街

「街の隣に街があり 人の隣に人がいる 八百屋の隣に風呂屋があり 居酒屋の隣に髪結がある」という徳永民平の詩が冒頭にでてくる「わすれかけの街」という本があります。

昔の松山の様子をうかがい知ることができる松山アースダイバー的なこの本によれば、現在ホヤケンのある場所は幕末の風流人である百済魚文(くだらぎょぶん)ゆかりの地であるようです。百済魚文(1745~1804)は松山屈指の豪商で、俳諧をたしなんだほか和歌、茶道にも通じた風雅の士で、俳諧の栗田樗堂、書の明月和尚、画家の吉田蔵沢らとの親交があったそうです。
寛永7年(1795)と翌8年の2回にわたって魚文の所を訪ねてきている小林一茶もこの場所で酒を飲んだのだろうと思うと、なんだか不思議な気がしてきます。

徳永民平

「くるきち」の常連だった詩人の徳永民平さんは、なぜか開店直後のホヤケンによく来店していただきました。「九ちゃんも歌ってるだろう。アを抜けばアホヤケンがホヤケンになるんだ。」なんて言いながら「上を向いてア抜こう」をよく歌っていました。ちょうど今ぐらいの季節になると、トコロテンの物売りの真似もしてくれました。あんまりカッコいい爺さんなので、幽穂さんと北海さんと一緒に家に遊びに行ったりしました。

いま思えば、私達になんとなく店をやっていけそうだという確かな自信を与えてくれた大切な恩人でした。民平さん本当にありがとうございます。

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »