ヨギベラ語録

 広島カープvs日本ハムファイターズの日本シリーズ第一戦をホヤケンでテレビ観戦していたら、偶然にも「広島沖縄県人会」の與儀(よぎ)さんという方が来店され、大いに盛り上がった。お帰りになるときに「與儀さんは、ヨギベラという野球人をご存知ですか?」とお尋ねすると、「知ってるよ。95歳になるうちの親父のあだ名だからね。」という絶妙の落ちも付いた。というわけで読んだら愉快な気持ちになるヨギベラ語録です。

 「彼の前評判は、来る前に聞いていた。」

 「あのレストランは混んでいるから、誰も行かない。」

 「野球は9割がメンタル、残りの5割がフィジカル。」

 「毎日1時から4時まで2時間昼寝している。」

 「ピザは4つに切ってよ、6つは食べきれないから。」

 (映画を観ながら)

 「これはマックイーンが死ぬ前に撮ったはずだ。」

 「ショートしたパットの9割はカップに入らない。」

 「予測をするのは難しい。未来についてはなおさらだ。」

 「匿名の手紙に返事を出してはならない。」

 トケオ

  Photo ヨギベラ

1976年のアントニオ猪木

柳澤 健著「1976年のアントニオ猪木」を読む。

1976年1月7日、ウィリエム・ルスカとアントニオ猪木による異種格闘技戦の記者会見が相当に面白い。

まず最初に、オランダの民族衣装をまとい木靴を履いて帝国ホテルに現れたルスカのスピーチの一部。

「オランダは鎖国を続けていた日本に文化をもたらした唯一の国、いわばヨーロッパの窓口だ。だから我々オランダ人は日本の武士道を昔から知っていた。そして、私は日本の武士道の象徴である柔道の世界チャンピオンであり、オリンピックの重量級と無差別級で二つのメダルを取った唯一の男である。この私が武士道のなんたるかをアントニオ猪木に教えてあげよう。」 さらに続けて、「私のこの素晴らしい肉体を作り上げたのは、オランダのエダムチーズだ。猪木も私のような肉体の持ち主になりたいだろう?このチーズをプレゼントするよ。」

球形のチーズを手渡されて、対する猪木の返答。

「小学校や中学校で習ったが、確かに長崎の出島で日本とオランダは貿易をした歴史がある。ヨーロッパの文明や歴史を伝え、陶器や織物、食物を日本に持ち込んでくれたこともよく知っている。しかし、ルスカはひとつだけ間違っていることがある。チーズが最高の体力をつけるものだということは間違っている。日本にはチーズ以上の素晴らしい食品がある。それは納豆だ。」

この記者会見以来、納豆の記事が新聞や雑誌に数多く登場した。これに感謝した納豆協会から新日本プロレスに大量の納豆が送られてきたため、スタッフたちは大慌てで老人ホームや身体障害者の施設に寄付したそうである。トケオ

Photo

ジギー・スターダスト

 「デヴィット・ボウイ詩集~スピード・オヴ・ライフ~」古川貴之著を読む。

 著者の古川氏は、アルバム「THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS」、和訳すれば「ジギー・スターダスト&ザ・スパイダース・フロム・マーズの栄枯盛衰」について、ボウイの愛読書であるジャック・ケルアックの「路上」に”like spiders across the stars”という一節が登場するから、”spiders”の命名は恐らくこの一節からであろうと指摘している。そしてありがたいことに、「路上」から問題の一節の前後を引用してくれているのだ。

 「唯一私を惹きつける人種というのは狂った人々、つまり、狂ったように生き、狂ったように話し、狂ったように救いを求める、一度に何でもかんでも望む連中で、決して欠伸をしたり、月並みなことを言ったりせず、まるで蜘蛛の群が星影をよぎるが如くに炸裂する最高に眩しいローマ花火のように燃えに燃え、ひたすら燃えまくる連中なのだ。で、その花火の真ん中に青い光がパッと弾けて、みんな『うあああ』なんてね。そういう若者たちのこと、ゲーテのドイツでは何て呼んだのかな?」 

 さらに、90年に行われたボウイのインタビューからの引用が続く。

 「過去作品を聴き返して僕が面白いと思ったのは、初期作品における燃えるような情熱のすごさだね。ほんと破れかぶれなまでの激しさがあるよ。とにかく聴いて欲しくてしようがなかったんだなあ、っていう。可愛いもんだというか、困ったもんだというか、よく分かんないけど、とにかく、置き去りにされてたまるか、っていう感じが物凄く伝わってくるんだよね。」

 1972年当時、このアルバムはそのコンセプトが充分に理解されていなかったためか、固有名詞を直訳した邦題「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群」として発売されたという。 トケオ

Photo出火吐暴威

おいしい資本主義

近藤康太郎著「おいしい資本主義」を読む。

朝日新聞の名物記者であり都会っ子の著者が、資本主義から半分降りるために「オルタナ農夫」を目指し、九州の田舎で米作りをする。・・・その実験のドタバタぶりは「アロハで田植えしてみました」という連載記事として朝日新聞に掲載され、ずいぶん評判になったのだとか。

本書はその「米作り体験記」に加えて、これまでに多くの著作を出してきた著者の、知的蓄積をベースにした「哲学的考察」をプラスしたものであるようだ。

とにかく登場人物が多彩である。遠藤賢司、太宰治、アレクサンドル・デュマ、頭脳警察、スライ&ファミリー・ストーン、ジェイムス・ジョイス、ピート・シーガー、岡倉天心など個性的で魅力的な人物が順不同に登場し、自在に引用されているから読んでいて楽しいし、なるほどと思う点も多い。

例えば、「未来のユートピアを語る者は、必ずその世界の独裁者だ」というハンナ・アーレントの言葉を引いて、著者は次のように語っている。

「理想の社会なんて語るな。革命なんか、犬にでも食わせろ。社会や世間じゃない。自分が変わるんだ。革命を起こすなら社会じゃない。自分に、革命を起こすんだ。」   トケオ

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海に突き出たもの

ある常連のお客様と、松山の昔話をしていたら、「梅津寺海水浴場の納涼台」は2階建てであったという。私には全く記憶がないのでネットで検索したら、確かに2階建てであった。1930年(昭和5年)に完成した「納涼台」は、当初平屋建てであったが、海水浴客の増加などに伴い1952年(昭和27年)に増築されたようだ。

Photo_2 梅津寺納涼台


写真を見ると、松並木の向こうに伊予鉄の電車が進入してくるのが見える。その向こうに見えるのが「納涼台」である。懐かしい記憶の中にある、梅津寺のシンボル的建造物でもあった「納涼台」は、1984年(昭和59年)の夏を最後に残念ながら廃止され、今は跡形もない。

同じ日の閉店間際に入ってきた、旅行中の女性一人のお客様は、「今日は念願の『足摺海底館』に行ってきました!」という。私が両親に連れられて「足摺海底館」を訪れたのは、もう40年以上前のことだから、まだあの建造物が残っていることに驚かされるが、1972年(昭和47年)に完成した「足摺海底館」は、今も現役であった。

Photo_3 足摺海底館


写真を見ると、「足摺海底館」は大阪万博が生み落とした、まさにそれは「いつかの未来」とでもいえるようなグッドデザインである。調べてみれば倉方俊輔著「ドコノモン」にも取り上げられていて、「増殖できそうな外観は『メタボリズム』的で、展望室は『カプセル』のようだが、もちろん現実に交換や拡張の予定はない。」とあった。とにかくいつまでも有り続けて欲しい建造物のひとつではある。トケオ

連休のお知らせ

7月19日(日)、20日(月)連休致します。よろしくお願い致します。

風船の使者

中村草田男のメルヘン集「風船の使者」を読む。

瀬田貞二の解説によると、俳句ひとすじの詩人とみられている草田男に、このような物語風の作品があることは、あまり知られていないようだ。ごく限られた発表の時期(1931~1934と1946~1949)または、作品自体の特異な形式や超越的性格もあり、まずは眠って過ごしたというところであるらしい。

それでも、発表当時からその価値を認めていた山本健吉は次のように述べている。

「草田男の本質はメルヘンの世界だ。彼の俳句においても、その童心の持続は驚異に価する。彼の俳句がある一定の技術の獲得による小成に甘んぜず、常にある可能性をはらんで若々しいのは、彼が根底においてメルヘンの世界を内に蔵しているからである。」

    鼠・犬・馬雪の日に喪の目して

昭和21年正月、義父の死を聞いて積雪の信州に急行した時の一句であり、草田男自身が自解で次のように述べている。

「我々の身辺では馬・犬・鼠、この3種の動物ほど優しい顔貌と涙にうるおったような黒眼を備えているものは、他に居ないようである。」

優しい動物たちに取りまかれた草田男の俳句は、侘び寂びに遠く、花鳥諷詠を脱して人間性内部の声を聞こうとするメルヘンの詩であるのかもしれない。トケオ

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「レッドアローとスターハウス」

原武史著「レッドアローとスターハウス」を読む。

東京の西郊を疾走する、西武鉄道の特急電車「レッドアロー号」は、西武的なモノの一つの象徴であるという。西武鉄道は他の電鉄会社と違い、宅地開発に積極的でなかったため、沿線に巨大な公団住宅が次々と建てられたようだ。なかでも「スターハウス」と呼ばれる星型住宅は、団地時代の到来を告げる記念碑的な建物であるらしい。

少年期に沿線の団地を転々として過ごした著者は、堤康次郎という資本家の政治意識に浸透された西武沿線と、その内側に出現した団地という二つの空間に生まれた、アイロニカルなドラマに注目している。

堤康次郎は大の親米派であり左翼嫌いであるにもかかわらず、ある時期の西武沿線は政治思想的にも(自治会活動)、建築的にも(集合団地)ソビエト的な方向に傾斜してゆき、ついには、団地の同質空間に規定されて生じてくる住民たちの政治意識が現れ始める。それは堤の思想と逆行するかたちの、何とも皮肉な結果であったという。トケオ

Photo 「レッドアローとスターハウス」 新潮社

世界はうつくしいと

長田弘(おさだひろし)の詩集「世界はうつくしいと」(みすず書房)にある一編の詩。


     「あるアメリカの建築家の肖像」

 家は、永遠ではない。 火のなかに、失われる家がある。

 雨に朽ちて、壊れて、いつか時のなかに、失われてゆく家がある。

 けれども、人びとの心の目には 家の記憶は、鮮明に、はっきりとのこる。

 フランク・ロイド・ライトというアメリカの建築家のことばを覚えている。

 家は、低く、そして小さな家がいい。水平な家がいい。

 地平線のなかにかくれてしまうような家がいい。

 大地を抱えこんでいるような家がいい。

 大方は隅なし。大いなる方形に四隅なし。

 連続する空間が新しく感じられる家がいい。

 風景こそ、すべてだ。 風景という、驚くべき本の中の本。

 体験だけが、唯一、真の読書であるような本。

 そのような美しい本であるような家。

 そうして、明るい日の光の下で、影という影が、淡いすみれ色に変わる家。

 フランク・ロイド・ライトは戦争を憎んだ。 

 戦争はけっして何も解決しない、世界をただ無茶苦茶にするだけだ、と。

 建築家が愛したのは、地球の文法であり、すべての恐竜たちが滅びさった、

 風のほかは、何もない大草原であり、石灰岩の丘であり、

 サグアロ・サボテンと花のほかは、何もない砂漠だった。

 Photo カバー画 カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ

                           「墓と柩とミミズクのいる風景」

 

 

アメリカのライト・ヴァース

西原克政著「アメリカのライト・ヴァース 揮発性の美学」(港の人)を読む。

「自分が軽いと考えるため天使は飛べるのだ」
G.K.チェスタートンの言葉が、まず印象に残る。
   
「詩(あるいはヘビー・ヴァース)の目的とするところは、美の形態への理解を追求することである。それに対して、ライト・ヴァースの目的は、美が脱ぎ捨てた服の方が美しいという誤解を奨励することである。」
モリス・ビショップのライト・ヴァースの定義は、宿敵である高級な詩(ヘビー・ヴァース)に対して、非常に風刺がきいている。

「ふたつのシャボン玉がたがいの球面に虹を見つけた。そしておたがいにこう言いながら消えていった。『虹を30秒つかめただけでもシャボン玉に生まれてきた甲斐があったね』」
カール・サンドバーグの詩を引用しておいて、著者の西原氏は次のように書いている。

「この作品には、ライト・ヴァースのいろんな要素が凝縮されている。それは『簡潔な文体』『軽やかさ』『適切な詩の長さ』などである。特に『軽やかさ』を言い換えれば『揮発性』ということに逢着する。皮膚にさっと触れて、一陣の涼風を感じさせたかと思うと、あっという間にいなくなってしまう消毒用アルコールの感触ににている。」

最後はエズラ・パウンドの詩で終わる。
「そして李白もまた酔っぱらって死んだ。黄河に浮かんだ月を抱こうとしたのだ。」トケオ

Photo

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